飛んだ!ひ・こーき!@森田浩貴の思うまま


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by kokimix
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【あんた、誰?】
東京都内で歌い手(専門はミュージカル)を営んでいる50前男です。時々司会・通訳もします(^^)
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家族旅行 <熊本~長崎>3

*さて3日目

国崎旅館の朝飯はシンプルだが、なかなか食べられていつも嬉しい。ご飯も炊きたてだし(当たり前のようだが)、そばに添えてある湯豆腐やジャコ天、温泉タマゴなどにもついつい箸が伸びる。

とても良い天気だったので、少し早めに出発。一路橘湾(たちばなわん)にある通称「たけびの浜」までタクシーで向かう。そこは波で浸食されて丸くなった岩が無数に並ぶことから千々石(ちぢわ)と呼ばれる地域だ。この近くの愛野町(現在は雲仙市に合併されている)に祖母は長く暮らしていた。祖母の実家もその地域にある。ここで我が母親は妹と共に、戦争から帰るはずの祖父を待っていたのだ。
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*今回の旅の目的のもう一つ

それが前回(5月の始め)の旅と同じく、祖母の散骨が目的だったのだが、母の中に迷いがあったらしい。祖母は長崎の出身だが、祖父は熊本の天草の出身。祖父は西田と言う家にもともと生まれたのだが、上山と言う、もう名前ばかりで家系が途絶えそうな家の跡取りとして養子になったのだ。

その頃、跡取り息子は徴兵されにくいだろうという一種おまじない的な目的もあって(実際後に祖父は徴兵されているが、この行動の有効性は日清・日露戦争までだったらしい)養子になったのだと言う。ちなみに祖父は9人兄弟。一人ぐらいいなくても、充分に他がいたということか。
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祖母は教師を定年退職した時に、その退職金を持参して、天草の西田家の墓の隣に上山家の墓を建てたのだと言う。ところが祖父の遺骨は、フィリピンで戦死したということで帰還せず、ただ桐の箱だけが送られてきたらしい。しかし何故だか祖父の母の墓が長崎にあって、他の人が墓守をしてるので、そちらに本来は納骨するのが筋なのだ(祖母は上山家の嫁なので)。

ところが、母が祖母本人に遺志を確認したところ、散骨と言う方法が一番理に適っていると考えたらしい。骨を海に撒けば、その先に繋がる祖父の戦死した場所:フィリピンにも繋がっているし、いつでも海を見たら祖母のことをみんな思い出すのではないかと、母は考えたのだ。
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*海岸で散骨も無事に終わり

そろそろ満ちて来そうな海岸を眺めながら、田中家(地元では中島の名で知られる名家)のご招待で、海岸に建つ食事処「あじ彩」へ昼食を食べに行った。

その食事処が建っている場所は、母が小学校から中学校にかけてを過ごした思い出の土地。その敷地内にその昔住んでいたのだと言う。前から母の実家:松尾家はやはり地元の名家で、その娘の祖母(名前は久寿:くす)は、若い頃地元の人から「おくすさま」と呼ばれていたらしい。先の田中家との関係を母に聞いても「上手く説明できないが、やはりお互いに養子縁組を繰り返して今の関係になった」という腑に落ちない説明しか出てこなかった。一応本家が田中で、松尾は分家…らしい。
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*れんこんづくし

当日は文化の日ということもあって、店内は満席だったが、前々から田中家の注文でちゃんと座敷を予約してあったと言うことで難なく着席。いざ食事の注文を、と思ったところ、店側から「コースのご予約をうかがっております」とのこと。母は「このままでは田中家がこの食事の代金を払ってしまうかも」と焦りつつ「どんな予約なんですか?」と尋ねると、出てきたのが『れんこんづくしコース』という地元の名産品を使ったコース懐石。これには父がびっくりし、しまったあんなに調子に乗って朝食を食べるんじゃなかったとか何とか…

地元と言うのは、隣町の唐比(からこ)と言う場所でとれるれんこんが全国でも有名なのだそうで。出てくる全てのメニューにこのれんこんが使われている。れんこん豆腐、れんこんと蟹の揚げしんじょ、れんこんハンバーグ、れんこんはさみ揚げ、れんこんとろろ汁などなど…ひとつひとつに量がないので、僕は何とか食べられたが、母は念のために近所に住む松尾家のお嫁さんに子供と来てもらって、アシストを依頼。

*食後、再びタクシーで

愛野町の田中家へ。そこでは、僕はもう20数年会っていなかった当主の大叔母様とご挨拶し(この辺が長崎はとても厳しい…土間や玄関で軽く会釈をしたら、その後改めて座敷でちゃんとお辞儀をする習慣)、お仏壇に線香を上げ、田中の若旦那(と言っても僕より7,8つ上)のお嫁さんを交えて歓談。
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その後、今度は同じことを松尾家でもする。松尾家には、僕自身もっと近しい感じがあったので(実際もっと頻繁に訪ねている)、ちょっと簡単に。
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そうこうする内に日も暮れてきて、空港へと向かわなければならない時間になった。
最後に祖母が生前住んでいた家をもう一度訪ねた。祖母が遺して行った機織り気(紬を織るのが趣味だった)や砧、糸巻き、庭の植物たちなどは思い出が格別にある。
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しかし、寄せる時間の波に、周囲のがけは全部コンクリートで固められ、泥道は舗装され、昔僕が遊んだ田んぼや畑もすっかりその形を潜めてしまった。景色として、とてもつまらない場所になってしまった。もちろん安全のためには致し方ないことなのは分かっているが、周囲の石塀で囲まれた段畑などもどんどん姿を消し、汚いとか醜いと判断されたものは容赦なく取り払われて行く。

帰り道に、少しセンチメンタルになった…
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by kokimix | 2007-11-08 22:20 | 旅行記

家族旅行 <熊本~長崎>2

* 次の日の朝

散々豪華料理に文句をつけた後だったので、宿の朝食にはあまり期待は出来なかった。事前に宿から和・洋どちらがいいかと訊かれていたので、母は洋食、父と僕は和食を頼んだ。洋食のラインナップに好きなベーコンが入っていなかったためだが。

朝起きて、昨日入らなかった露天風呂に入ってみる。半畳ほどの小さなスペースだが、なかなか心地の良い水温でしばしため息…しかし、身体を洗う所の作りが機能的でなく、デザイン重視だったのが気になった。どちらの蛇口がお湯なのかも書いてないし、シャワーヘッドがどっちを向いているかもわからない(細長い筒状なので)おまけにバスタブが卵型、と言うかゆりかごのような形をしている。

父曰く「あれじゃ年寄りは溺れるぞ」。

さて階下に下りて朝食。母の洋食セットは大きな丸太のような陶器の器に、全部一緒くたに盛られていた。見た目は「わ~豪華!」と言う感じなのだが、食べ心地がどうだったかは未確認。一緒に盛られたソーセージを見て、あれがベーコンだったら意見を翻したかも…などと思った。
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和定食はまあまあの品揃え。中心のおかずは味のみりん干だが、小さくて薄い!烏賊のゲソ刺しとやたら味の薄い玉子焼き(昨日のなすの揚げ出しはあんなに味が濃かったのに!)、おから、ヨーグルトなどがお盆に乗って来た。父が「あ、ご飯が炊き立てじゃない!」と気が付いてお変わりを止めた。別に僕は不味いとは思わなかったが、確かに昨日のじゃこ飯より弱冠固めかなとは思った。

終始僕が思ったのは、厨房スタッフの経験・知識不足と、味付けの不安定感。もしかしたら中のスタッフは女性かもしれないと思ったが、そう書くと女性蔑視になるのだろうか。女性の料理人を卑下はしないが、味が一定でないのはプロとしては失格だ。また、見た目にこだわり過ぎて味や細工がおろそかになるのも頂けない。
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*さて、出発

前日電話で頼んでおいた花を持って、一路タクシーで大江に住む母の母方の従兄弟夫婦:西田夫妻に会いに行く。1時間ぐらいタクシーに乗ったが、僕は爆睡…着いた所はひなびた山間の小さな集落。その坂だらけのところを、タクシー(周辺一台きりしかない)は器用にクネクネ曲がりながら(時々スイッチバックも)ようやく到着。
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そこでは、気のいい感じの70代の夫婦が待っていてくれた。この夫婦の性は西田と言うのだが、家の母の旧姓は上山。上山家には代々男性が少なかったので、兄弟が沢山できると、他のうちから家督を継がせるために養子を迎えることが多かった。母の父も、そしてその父(母にとっては祖父)も続けて養子となった。これには「各家族の第一子男性は徴兵されない」と言うその頃の法令があった頃から「徴兵避け」の意味合いも多かったらしい。

そこで、今回祖母が亡くなった事で、祖母の遺骨をその天草の墓に分骨するかどうかを相談するのと、祖父が生前信じていたと言う「神道」形式の祀り方でこのまま行くのかが話し合われた。西田家では、祖父の遺骨を自分たちの信仰する曹洞宗(禅宗)に戻して一括供養とすることが提案された(もともと西田の家の人なので)。祖母は自分の退職金で上山の墓を天草に建てていた(西田家の墓の隣)が、そこには現在祖母の母が眠っていると言う話。
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しかし、祖母が生前自分がどう埋葬されたいかを相談された時に「どげんしよーばいねー」(どうしようかねぇ)と決めあぐねていたので、見かねて母が「海に散骨するって言う手もあるのよ、そうしたお父ちゃまがいらすフィリピン(祖父はフィリピンで戦死)にもつながっているし…」と提案したのだそうだ。「それもよかねぇ」(それもいいわねぇ)と言いながら祖母は静かに亡くなったので、母としてはその遺志は尊重したいと思っていた。

結果的に祖父の遺骨(と言っても戦死なので、遺骨は無い、箱だけ)は西田家の方に戻し、祖母は母の一存に任せると言うことで話はついた。

が、こればっかりは一族全体の問題なので、彼女一人で全てを決めてしまうと、後々遺恨を残すことになりかねない。そこで、コンセンサスを取ってしまおうというのが今回の旅行の目的の一つだったわけだ。

結果的に祖父の遺骨(と言っても戦死なので、遺骨は無い、箱だけ)は西田家の方に戻し、祖母は母の一存に任せると言うことで話はついた。

ちなみに母の祖父はクリスチャンである。場所が天草であることと、祖祖父が長くアメリカ留学をしていた事(この話はまたとても興味深い…逆「シンドラーのリスト」みたいな話なのだ)もあるのだろう。葬式は後で紹介する大江天主堂で葬式を挙げたくらいなのだ。しかし今はやはり西田のうちで合同供養をしてもらっているらしい。
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話し合いの後、軽く両家の墓をお参りし、西田家に戻ってきて昼食。ずいぶん時間が経った様に文章では思えるが、朝食からわずか3時間ぐらいのことだったので、両親も僕もまだそんなに腹は減っていない。だが、田舎に住む老夫婦が出来る最大限のもてなし:山盛りの刺身・すし・天麩羅お膳に並び、その中で一番若い自分が一手にそれらを引き受けることになってしまった…。

ま、海沿いの町だから、魚に間違いはないのだが。いかんせん、胃の中に入らない…
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*西田家を後にし

一路しばしの間観光へ。実はうちの一家は観光に興味が薄い。つまらない一家だと言われればそれまでだが、観光スポットのようなところには滅多に行かない。今回は天主堂関係だけは見てみようと言うことになり、ます大江天主堂へ。
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母が小さい頃、長崎に疎開する前に祖父の実家があった天草に2年ほどいた時に天主堂などにもチョクチョク遊びに来たそうだ。その頃は林の中にひっそりと立つ寂しげな建物だった(当局に弾圧されていた為)が、今はキレイな公園のようになっている。
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大江天主堂は天草南島の西南に位置しているが、次に行った崎津天主堂はそれより東南、羊角湾に建っている。ここは、小さいが美しい小さな湾に面した、なかなかロマンチックな教会で、その画面全てが完成された絵画のようだった。
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*そして一路、長崎側へ

再び島原高速フェリーに乗り、30分ほどで口之津と言う港へ。そこから小浜の国崎旅館と言う宿へ向かう。ここには前回宿泊したので、勝手は承知している。ひなびた良い雰囲気の旅館だ。http://kunisaki.jp/

フロントに入ると、大皿に入ったグッピーたちがお出迎え。二階のゆりの間が僕らの部屋だ。
こちらの方が、食事も安定している。誰が板さんなのかも知っているし、母が事前に「生ものはそんなに沢山要らないから、車えびの良いのとあわびの鬼焼きを注文したい」というリクエストに応えて、車えびではないが同等のサイズのエビや、ちょうど11月1日で禁猟になってしまった黒あわびを一つだけ我々の為に残しておいてくれて、あとの二つはちょっと小ぶりのもので済ませることになった。

僕は食べられればどちらでも良いのだ。

料理は他に、地元の豚肉を使ったしゃぶしゃぶ、鯛のかぶら蒸しなどが出されたが、量もちょうど良く、満足できた。
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by kokimix | 2007-11-05 10:13 | 旅行記

家族旅行 <熊本~長崎>1

* まず、熊本へ

おとといから熊本の天草と長崎の諫早周辺を両親と旅した。

今回も前回同様、無くなった祖母の弔いが主な目的だったが、それに加えてかなり長い間会っていなかった母の従兄弟夫婦という人たちにも再会できた。

僕はその人々に大昔会ったことがあるらしい(あまりに昔なので記憶が定かではない)のだが、父は全く初対面。なんでも祖母が教師の職を定年で辞めた時に一緒に行ったのだと言う。

天草はなかなか広い島で、僕らは熊本側から渡ったのだが、高速フェリーと言うネーミングの船を使っても、なんだかんだで3時間近くかかってしまった。まず熊本空港から熊本港がえらく遠く…
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メインポートの本渡港というところから更に1時間ほど車で行った先にその晩の宿があった。その名も「石山離宮 -五足のくつ-」。http://www.rikyu5.jp/

* 石山離宮 -五足のくつ-

この名前は明治40年、与謝野鉄幹、北原白秋ら5人の詩人が天草を訪れ「五足の靴」と呼ばれる紀行文を記したことに由来するそうで。地元の人にとっては、この事実はなかなか自慢の種だと言う。

この宿自体も新しいながら、テレビや雑誌への露出も多く、有名な高級旅館だそうな。我々が泊まったのはヴィラCと言うセクション(またヴィラАとBは違う場所にある)ものすごい崖のような斜面を、器用に車を走らせるスタッフの案内の下、着いた宿はアジアンテイストの強いちょっとした異国のロッジホテル。丘の途中に建っているようなロケーションで、着いた時刻が良かったのか、ちょうどテラスから日没が見えた。眼下の海と相まって、壮大な景色。
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「今の今まで曇ってお日様が見えなかったんですけど、お客様がご到着になった瞬間にパァッと晴れて、ちょうどきれいな夕日がごらん頂けますよ」と、フロントのチーフらしい若い女性スタッフ。

そこで一服ジャスミンティーを頂きながら宿帳にサインをし、いざ部屋へ。部屋へはエレベーターで2階へ上がる。父「わ~面倒くさいなぁ。脚が弱いから、遠い部屋はツライよ…」数ある中でも一番の奥に位置する部屋に泊まることになり、しかもクネクネと曲がり道が連なるその先に部屋はあった。
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瀟洒なロッジといったイメージの外装だが、中はマレーシアかタイの高級別荘と言った趣き。大きなキングサイズのダブルベッドが2つと、大きめのソファーベッドがやたら大きい液晶テレビの前に鎮座し、その傍らにカバが2匹水面から顔を出したところをモチーフにしたガラスのテーブルと2客の椅子。その奥には洗面台・トイレと内風呂。そこから繋がるバルコニーのような庭にポツンとある寝椅子と正方形のコンパクトな露天風呂。ちなみに、部屋の内側からは全部丸見えだ。(ブラインドは降ろせる)
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ベッドサイドにはCDプレイヤーとジョセフィン・ベイカーのCD、テレビにはDVDプレイヤーが接続してあって、階下のフロントから(図書館・バーも兼ねている)ソフトを借りてくることも出来る。

母が洗面所に生けてあった花を見て気に入り、フロントに「このお花はどこでお買い求めになりますの?」と電話で問い合わせ。明日の墓参りに持参したいとのこと。

大抵旅館の食事と言うものは時間指定で用意してもらうことが多いが、ここは6~9時までならいつでも来て構わないと言う。

* Dinner

そこそこ腹も減っていたので、7時に階下の食事処へ。入ってみると天主堂をイメージした白い壁と高い天井に囲まれた、これまたかなり不思議な空間。地味目のシャンデリアが雰囲気を演出する。
「キリエ(グレゴリオ聖歌の一つ)でも歌えそうだな」と父。
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はこばれてきた料理はどれもファンシーな感じの創作懐石で、一つ一つうやうやしい。運んで来るスタッフの説明もいちいちうやうやしい。よく言えばかなりトレーニングしてあるのだ。(バスガイドを一瞬思い出したが)なんでも、宿のスタッフは全員天草出身者を採用しているのだとか。

梅酒の食前酒の後、地元の烏賊の石焼を天然塩で頂くと言う趣向はなかなかワイルドで良かった。
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次に、先付に出てきた鯖の棒寿司と季節の野菜の炊き合わせ色々。入っていた銀杏に「あ、これ火が通ってない!」と、いつもの母のチェックが入る。確かに口の中でシャリシャリする。銀杏は生だと胃腸によろしくないので、早速次のお膳を運んできたスタッフにコメント。何か言わなければ気が済まない性質はこの人から受け継いだらしい。恐るべしDNA。

また残念だったのは、先付のお重に入っていたほぼ全てのものが炭水化物だった点・棒寿司2ヶ、銀杏、紅葉麩、栗、小芋田楽など。これではメインに行く前に満足してしまう。

次は伊勢海老の真薯(しんじょ)柚子風味。続いてお造り(烏賊とかんぱちと鯛:この辺の鯛はつとに有名)、そして鰆の舟昆布焼き。これは今ひとつだった。鰆を昆布を船に見立てた形に整えて焼いてある一品なのだが、鰆が少々ポソポソしており(もともとそういう感じの魚にしても)、少し遺してしまった。

次が一同ビックリだったのだが、大きいナスの中をくりぬき、そのくりぬいたボール状の中身は揚げ、エビやキノコ、青物などとあんかけを作り、ナスの器に地元特産の「大王」と言う地鶏のソテーを敷いて、あんかけを「ふんだんに」かけた一品。

味が全体的に濃すぎ、あんかけの料もナスのサイズも大きすぎ。皆で少々ゲンナリ。「おれ、これいらねーや、食べきらん」と父。

その後小鯛のパン粉焼きが続いたが、ひと塩して軽く干してから処理したらしく、ちょっと硬かった。別に不味くはないけど、味の濃いあんかけナスの後にまたしょっぱい魚料理だと、メリハリがない気がする。
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鍋物として、先の大王を使った大仰な蒸し鍋が出てきたが、大きな土鍋の底に焼いた石が置いてあり、その周り・上に葱や大王のもも部分の肉を入れて、出汁を注ぎ急速に加熱して、ワイルドさを再び狙おうと言う趣向らしい…が、その肝心の大王がカ・タ・イ!いくら地鶏とはいえ、髪蹴れないほど硬いのはいかがなものか?先日の比内鶏偽装事件がつい頭をよぎってしまう。味付けもまたまた醤油からい。出汁そのものは別に不味くないけど、その後を食べる気がしない。僕は何となく悪いような気がして1本ももを食べたが両親はゼロ。僕も2本目をよそったが、食べられなかった。
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感触として、板前がちゃんと各方面の料理を体験しないまま厨房に入ってしまったような気がする。ハッキリ言って勉強不足だ。食後家族で批評大会になってしまったのだが、スタッフが「味はいかがでしたか?」の質問に父がすかさず「サービス過剰」の一言を発した。
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つまり体裁ばかりに気を取られて、手を加えなければ料理じゃないと言うような思い込みの囚われているような気がしたのだ。もう、その素材には味が付いているから、そこに人工的な工夫は必要ない。それが食べたかったと言うことが父は言いたかったらしい。

う~これで予約殺到の人気旅館、おまけに値段表を見たら「ゲッ!!」
どうなのかねぇ、温泉グルメ。

by kokimix | 2007-11-04 12:02