* 次の日の朝
散々豪華料理に文句をつけた後だったので、宿の朝食にはあまり期待は出来なかった。事前に宿から和・洋どちらがいいかと訊かれていたので、母は洋食、父と僕は和食を頼んだ。洋食のラインナップに好きなベーコンが入っていなかったためだが。
朝起きて、昨日入らなかった露天風呂に入ってみる。半畳ほどの小さなスペースだが、なかなか心地の良い水温でしばしため息…しかし、身体を洗う所の作りが機能的でなく、デザイン重視だったのが気になった。どちらの蛇口がお湯なのかも書いてないし、シャワーヘッドがどっちを向いているかもわからない(細長い筒状なので)おまけにバスタブが卵型、と言うかゆりかごのような形をしている。
父曰く「あれじゃ年寄りは溺れるぞ」。
さて階下に下りて朝食。母の洋食セットは大きな丸太のような陶器の器に、全部一緒くたに盛られていた。見た目は「わ~豪華!」と言う感じなのだが、食べ心地がどうだったかは未確認。一緒に盛られたソーセージを見て、あれがベーコンだったら意見を翻したかも…などと思った。

和定食はまあまあの品揃え。中心のおかずは味のみりん干だが、小さくて薄い!烏賊のゲソ刺しとやたら味の薄い玉子焼き(昨日のなすの揚げ出しはあんなに味が濃かったのに!)、おから、ヨーグルトなどがお盆に乗って来た。父が「あ、ご飯が炊き立てじゃない!」と気が付いてお変わりを止めた。別に僕は不味いとは思わなかったが、確かに昨日のじゃこ飯より弱冠固めかなとは思った。
終始僕が思ったのは、厨房スタッフの経験・知識不足と、味付けの不安定感。もしかしたら中のスタッフは女性かもしれないと思ったが、そう書くと女性蔑視になるのだろうか。女性の料理人を卑下はしないが、味が一定でないのはプロとしては失格だ。また、見た目にこだわり過ぎて味や細工がおろそかになるのも頂けない。

*さて、出発
前日電話で頼んでおいた花を持って、一路タクシーで大江に住む母の母方の従兄弟夫婦:西田夫妻に会いに行く。1時間ぐらいタクシーに乗ったが、僕は爆睡…着いた所はひなびた山間の小さな集落。その坂だらけのところを、タクシー(周辺一台きりしかない)は器用にクネクネ曲がりながら(時々スイッチバックも)ようやく到着。

そこでは、気のいい感じの70代の夫婦が待っていてくれた。この夫婦の性は西田と言うのだが、家の母の旧姓は上山。上山家には代々男性が少なかったので、兄弟が沢山できると、他のうちから家督を継がせるために養子を迎えることが多かった。母の父も、そしてその父(母にとっては祖父)も続けて養子となった。これには「各家族の第一子男性は徴兵されない」と言うその頃の法令があった頃から「徴兵避け」の意味合いも多かったらしい。
そこで、今回祖母が亡くなった事で、祖母の遺骨をその天草の墓に分骨するかどうかを相談するのと、祖父が生前信じていたと言う「神道」形式の祀り方でこのまま行くのかが話し合われた。西田家では、祖父の遺骨を自分たちの信仰する曹洞宗(禅宗)に戻して一括供養とすることが提案された(もともと西田の家の人なので)。祖母は自分の退職金で上山の墓を天草に建てていた(西田家の墓の隣)が、そこには現在祖母の母が眠っていると言う話。

しかし、祖母が生前自分がどう埋葬されたいかを相談された時に「どげんしよーばいねー」(どうしようかねぇ)と決めあぐねていたので、見かねて母が「海に散骨するって言う手もあるのよ、そうしたお父ちゃまがいらすフィリピン(祖父はフィリピンで戦死)にもつながっているし…」と提案したのだそうだ。「それもよかねぇ」(それもいいわねぇ)と言いながら祖母は静かに亡くなったので、母としてはその遺志は尊重したいと思っていた。
結果的に祖父の遺骨(と言っても戦死なので、遺骨は無い、箱だけ)は西田家の方に戻し、祖母は母の一存に任せると言うことで話はついた。
が、こればっかりは一族全体の問題なので、彼女一人で全てを決めてしまうと、後々遺恨を残すことになりかねない。そこで、コンセンサスを取ってしまおうというのが今回の旅行の目的の一つだったわけだ。
結果的に祖父の遺骨(と言っても戦死なので、遺骨は無い、箱だけ)は西田家の方に戻し、祖母は母の一存に任せると言うことで話はついた。
ちなみに母の祖父はクリスチャンである。場所が天草であることと、祖祖父が長くアメリカ留学をしていた事(この話はまたとても興味深い…逆「シンドラーのリスト」みたいな話なのだ)もあるのだろう。葬式は後で紹介する大江天主堂で葬式を挙げたくらいなのだ。しかし今はやはり西田のうちで合同供養をしてもらっているらしい。

話し合いの後、軽く両家の墓をお参りし、西田家に戻ってきて昼食。ずいぶん時間が経った様に文章では思えるが、朝食からわずか3時間ぐらいのことだったので、両親も僕もまだそんなに腹は減っていない。だが、田舎に住む老夫婦が出来る最大限のもてなし:山盛りの刺身・すし・天麩羅お膳に並び、その中で一番若い自分が一手にそれらを引き受けることになってしまった…。
ま、海沿いの町だから、魚に間違いはないのだが。いかんせん、胃の中に入らない…

*西田家を後にし
一路しばしの間観光へ。実はうちの一家は観光に興味が薄い。つまらない一家だと言われればそれまでだが、観光スポットのようなところには滅多に行かない。今回は天主堂関係だけは見てみようと言うことになり、ます大江天主堂へ。

母が小さい頃、長崎に疎開する前に祖父の実家があった天草に2年ほどいた時に天主堂などにもチョクチョク遊びに来たそうだ。その頃は林の中にひっそりと立つ寂しげな建物だった(当局に弾圧されていた為)が、今はキレイな公園のようになっている。

大江天主堂は天草南島の西南に位置しているが、次に行った崎津天主堂はそれより東南、羊角湾に建っている。ここは、小さいが美しい小さな湾に面した、なかなかロマンチックな教会で、その画面全てが完成された絵画のようだった。

*そして一路、長崎側へ
再び島原高速フェリーに乗り、30分ほどで口之津と言う港へ。そこから小浜の国崎旅館と言う宿へ向かう。ここには前回宿泊したので、勝手は承知している。ひなびた良い雰囲気の旅館だ。http://kunisaki.jp/
フロントに入ると、大皿に入ったグッピーたちがお出迎え。二階のゆりの間が僕らの部屋だ。
こちらの方が、食事も安定している。誰が板さんなのかも知っているし、母が事前に「生ものはそんなに沢山要らないから、車えびの良いのとあわびの鬼焼きを注文したい」というリクエストに応えて、車えびではないが同等のサイズのエビや、ちょうど11月1日で禁猟になってしまった黒あわびを一つだけ我々の為に残しておいてくれて、あとの二つはちょっと小ぶりのもので済ませることになった。
僕は食べられればどちらでも良いのだ。
料理は他に、地元の豚肉を使ったしゃぶしゃぶ、鯛のかぶら蒸しなどが出されたが、量もちょうど良く、満足できた。