飛んだ!ひ・こーき!@森田浩貴の思うまま


アッという間に50なっちゃった( "゚ o゚")ドーシヨ
by kokimix
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【あんた、誰?】
東京都内で歌い手(専門はミュージカル)を営んでいる50前男です。時々司会・通訳もします(^^)
11月20日金曜日中目黒楽屋でライブを行います!みなさま良くご存じのスタンダードばかりを集めたプログラムです。バイオリンも共演!美味しいお料理で評判のお店に、ぜひお越し下さい!!
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Pointer Sistersよ、再び

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* 四女、ジューンの訃報に接し

しばし、愕然とした。少し前からおかしいとは思っていた。姉妹同士仲が悪くなったと言うのも聞いていた。ジューンがドラッグにおぼれていると言ううわさも聞いた。しかし、こんなにはやくこの日が来ようとは…

亡くなったのは、今年の4月11日。他のネットワークで知らせを聞いたのだが、まだ53歳と言う若さである。なんでも複数の部所の癌だったそうだ。

彼女は、多くのポインター・シスターズ名義のシングルでリードヴォーカルを務めて来た。Dare me, Jump for my love, Should I do it, Happinessなど、彼女のカーンと響く高音が必要な曲たちだ。彼女が健康上の理由で2004年にグループを離れて、ルース(長女)の娘:イッサにバトンタッチするのだが、彼女の抜けた穴は大きすぎた。他の長女と次女でジューンのカバーをしていたからだ。残念ながらイッサは彼女の代わりを務めるまでの実力がまだない。

これは、最近¥1000CDショップ(駅などにある仮店舗)などでDVDが手に入る。筆者もつられて買ってみたが、全盛期の輝きは微塵も感じられなかった。全体的にピッチも落ち、テンションも上がらず、体力の低下だけが目立つ乾いたステージに感じられた。

* 思い返すと

我が家にファーストアルバムがあったのが思い出される。父がいち早く見つけて、買って置いたらしいが、見つけた筆者はティーンの頃聞きまくった。特にYes we can can(全米11位)のヴォーカルワークの見事さに圧倒され、歌詞まで覚えてレコードと一緒に歌ったものだ。

まだその頃は三女ボニーが在籍していて、カルテットだった。女性のカルテットは当時せいぜいノーランズぐらいで、珍しかったと思う。しかし、血を分けた姉妹なので、当然ハモリは抜群に上手く、他の追随を許さなかった。後発でシスター・スレッジなどもいたが、音楽性の高さでは比較にならなかった。

* その後ボニーがソロに

ソロ作を聞くと、その空虚感で驚いた。シングルHeaven Must Have Sent Youはそれなりにディスコでウケたが、長続きはしなかった。彼女は後にも映画「ヘブンリー・ボディーズ」の主題歌などを歌ったが、はっきり言って「フラッシュダンス」の二番煎じで、まったく魅力を感じなかった。

早い話が、ボニーはモータウンに引き抜かれた(ほぼダマされた?)のだが、損をしてしまったと言わざるを得ない。

グループはトリオになって、方向転換を迫られた。そこで当時バーブラやカーリー・サイモンのプロデュースで人気の出てきたリチャード・ペリーに着いていくことを決め、プラネット・レコードと契約する。そこが大爆発の歴史への階段だった。
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* アルバムBreakoutのリリースで

彼女たちの評価は一変した。それまではどちらかと言うと、どこか懐かしい感じのロックやポップ色の強いグループだったのが、もっとテンションの高いファンキーさが求められるようになった。一躍アルバムをチャート上位へと押し上げたAutomaticは世間の度肝を抜いた。めずらしく長女ルースがソロを取ったのだが、彼女の声がバリトンの音域に届くほど低かったためだ。

また、同時期に行われたロサンゼルスオリンピックのキャンペーンに、彼女たちの次のシングルJump for my loveが使われたりして、ラッキーだった。グラミー賞でもポップヴォーカル賞とヴォーカルアレンジ賞を受賞した。

* それぞれソロ作が出るが

やはりパッとしなかったのは、ボニーと一緒だった。ファンのよしみでジューンのソロ2枚と次女アニタのソロ1枚を買ったが、どうもピンと来ない。仕方が無いね。もともと4人でやってきたのだから。ソロ・デビューって難しい。ダイアナみたいに鳴り物入りで無いと…ま、シュープリームスぐらいの化物グループになると、たいした宣伝もいらないが。

ジューンの最初のソロ作は、かなり姉さんたちに協力してもらって作った印象がある。また、シュープリームスやマーサとヴァンデラス、マーヴェレッツをお手本にした作りで、マーヴェレッツのカバー曲も入っていたと記憶している。

* その後、アルバムContactが

イマイチ売れなくて、シングルDare meが11位まで上がったものの、ほかのシングルは皆不発に終わった。最近誰か若い歌手が、このDare meを歌っているのを街中で聞いた。個人的にそれほどいい曲とは思わないけど、それでも少しだけ嬉しかった…

その後出たHot together, Serious Slammin'も不発で、残念ながら「パターン」にハマってしまった。ブロードウェイに進出して、Ain't Misbehavin'.に出演したりもした。(これは秀逸!)だが、結局業を煮やして、モータウンへ移籍する。しかし、やはりRight Rhythmが売れず、グループはやむなく冬眠状態に入る。
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* 再ブレイクはヨーロッパ

驚いたことに、彼女たちの活躍の場は、その後ベルギーやイタリアが中心となる。Jump for my loveがイギリスのポップアイドルグループ:ガールズ・アラウドによってカバーされてヒットしたり、ドイツやフランスでも歓迎された。

そのあたりから、ジューンがイッサにバトンタッチし、グループが存続していくわけだが、こうなってみると彼女たちも頑張ってきたなぁという思いでいっぱいである。まだグループ自体はイッサを加えた体制で活動中だが、僕の永遠のポップアイコンのひとつなだけに、ジューンの死がかえすがえすも残念でならない。
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* 個人的には

以前に紹介したBlack and White, Special Thingsのあたりのサウンドが一番好きだが、その直前のゴリゴリしたロックも、Breakoutのおもちゃ箱みたいなサウンドもそれぞれ愛着がある。「彼女たちの来日公演を生で見たのが自慢だ」って、何回言ったら気が済むだろうか…

♪KOKI

by kokimix | 2006-08-21 22:57 | 音楽
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